HOME > WRAPの起源 > メアリー エレン・コープランドさんのエッセー
私はこのジレンマを職業リハビリカウンセラーに持ち込みました。彼女は、この精神病の女性のために世の中に居場所を見出すべく必死に努力をしてくれていました。私は彼女に、ある夢を語りました。うつ病や躁うつ病をかかえる人たちが、安定を保ち続ける方法を見つけだすという夢を。驚いたことに、彼女は私の考えを支持してくれました。彼女のバックアップと、社会保障局の障害を持つ人の自立を支援するプログラムの助けを得て、私は自立のための方策をわかちあうことに同意してくれた120名の人たちの調査を始めました。
情報が入ってくるにつれて、私のもやもやした頭は脅えはじめました。どうやってこのデータを編纂し、私や私のような人たちの役に立つものへとまとめることができるだろうか。私は根気強く作業に取り組みました。情報はとても魅惑的で、次第に引き寄せられていきました。意義のある仕事を、私は再び手にいれました。私はそこで元気になり始めたのだと思います。
このデータをまとめていて学んだ最初のいちばん重要なことは、たくさんの希望がある、ということでした。一般に信じられていることとは裏腹に、うつや躁うつを繰り返すエピソードを持つ人たちは、元気になり、長いあいだ元気であり続け、人生で望むことを手に入れているのです。この希望のメッセージは私がいままで耳にしたことのなかったものです。この希望のメッセージは、それが本当だと知っている私たちのすべてが、広めていくべきことです。
私はまもなく研究の参加者からの回答にはっきりした違いがあることに気づきました。ある人たちは自身の不安定さを他の人のせいにしました。「もし私の両親が○○しさえしなければ」「もし私のドクターが○○を試してくれていたら」「もし私の4年生のときの先生が……」等々。気持ちの不安定さがこの人たちの生活をコントロールしていました。他の人たちは自分の生活に責任を持ち、自分のために権利擁護し、学び、必要なサポートを得るなどしていました。これらの人たちは元気になり、元気であり続けていました。その時点で私が180度方向転換し、頭がそれを受け入れるのと同時に後者――自分で責任を取る人たちの方に加わったことを、もちろんあなたもおわかりでしょう。それは人生を取り戻す最初の大きなステップでした。
それから私はわかちあえる沢山の知識を持っている人たちから、気分の揺れが激しく尊厳やプライドを地下室においてきてしまった人々にとっては、どんなに困難に感じるとしても、自分で自分のために権利擁護をしなければならないことを学んだのです。私は治療や住まい、人間関係、サポート、仕事、活動について、私自身はどうしたいのかを考え始めました。それらを達成させるための方法を考え、それに向かって進んでいきました。私の生活のなかで物事が変わりはじめ、変わり続けています。私の人生はどんどん良くなっています。
私はそれまでしていなかったのですが、多くの人たちがしていたように自分自身の教育をはじめました。うつや躁うつや、薬、新しい治療法についてできるかぎり読むようにしました。このプロセスのなかで国や州や地域の団体に援助を求めて連絡をとりました。私のために意思決定をしてもらうのではなく、医療専門職に私がして欲しいことや期待していることを伝えるようにしました。私は自分自身にもっと気を配るようにしはじめました。自分では意思決定が出来ないときに、人に私のためにどのように意思決定してほしいかを示すプランを作り、このような状況で、どう扱って欲しいのかを伝えました。
情報が入ってくるにつれて、私のもやもやした頭は脅えはじめました。どうやってこのデータを編纂し、私や私のような人たちの役に立つものへとまとめることができるだろうか。私は根気強く作業に取り組みました。情報はとても魅惑的で、次第に引き寄せられていきました。意義のある仕事を、私は再び手にいれました。私はそこで元気になり始めたのだと思います。
このデータをまとめていて学んだ最初のいちばん重要なことは、たくさんの希望がある、ということでした。一般に信じられていることとは裏腹に、うつや躁うつを繰り返すエピソードを持つ人たちは、元気になり、長いあいだ元気であり続け、人生で望むことを手に入れているのです。この希望のメッセージは私がいままで耳にしたことのなかったものです。この希望のメッセージは、それが本当だと知っている私たちのすべてが、広めていくべきことです。
私はまもなく研究の参加者からの回答にはっきりした違いがあることに気づきました。ある人たちは自身の不安定さを他の人のせいにしました。「もし私の両親が○○しさえしなければ」「もし私のドクターが○○を試してくれていたら」「もし私の4年生のときの先生が……」等々。気持ちの不安定さがこの人たちの生活をコントロールしていました。他の人たちは自分の生活に責任を持ち、自分のために権利擁護し、学び、必要なサポートを得るなどしていました。これらの人たちは元気になり、元気であり続けていました。その時点で私が180度方向転換し、頭がそれを受け入れるのと同時に後者――自分で責任を取る人たちの方に加わったことを、もちろんあなたもおわかりでしょう。それは人生を取り戻す最初の大きなステップでした。
それから私はわかちあえる沢山の知識を持っている人たちから、気分の揺れが激しく尊厳やプライドを地下室においてきてしまった人々にとっては、どんなに困難に感じるとしても、自分で自分のために権利擁護をしなければならないことを学んだのです。私は治療や住まい、人間関係、サポート、仕事、活動について、私自身はどうしたいのかを考え始めました。それらを達成させるための方法を考え、それに向かって進んでいきました。私の生活のなかで物事が変わりはじめ、変わり続けています。私の人生はどんどん良くなっています。
私はそれまでしていなかったのですが、多くの人たちがしていたように自分自身の教育をはじめました。うつや躁うつや、薬、新しい治療法についてできるかぎり読むようにしました。このプロセスのなかで国や州や地域の団体に援助を求めて連絡をとりました。私のために意思決定をしてもらうのではなく、医療専門職に私がして欲しいことや期待していることを伝えるようにしました。私は自分自身にもっと気を配るようにしはじめました。自分では意思決定が出来ないときに、人に私のためにどのように意思決定してほしいかを示すプランを作り、このような状況で、どう扱って欲しいのかを伝えました。