WRAPの考案者であるメアリー エレン・コープランドさんは、自分と同じように、強い感情の浮き沈みに苦しむ経験を持つ人たちが、「日々、どのように対処して暮らしているのか?」を知りたいと思い、全米各地の百数十名以上の方に呼びかけ、調査を行いました。その回答から、元気で豊かな暮らしぶりを感じさせる人々に共通している、5つのことが浮かび上がってきました。それが、元気に大切な5つのこと(希望、自分が主体となること、学び、自分のために権利擁護すること、サポート)です。
・希望の感覚
どのような境遇におかれていたとしても、苦しみには終わりが来ると思えること、現状は変わると信じられること、なにか道が開かれそうだと感じられること――そんなふうな、ふと明かりが見えるような気持ちを、希望の感覚として捉えています。可能性を感じること、可能性に開かれていると思えることです。
・自分が主体となること(自分の責任)
自らの人生でありながら、自分が自分の主体となって生きるというのは、なかなか難しいことのようです。もし、あなたの感覚や感情は信頼できないというメッセージをこれまでに受け取ってきたとしたら、自らの声を聴き、その声を尊重した選択をするのには、かなりの勇気が必要かもしれません。
また、自分自身への否定的な語りや、癖になっている反応のパターンが、その時々に対応を選ぶ自由の妨げになっていることもあるでしょう。立ち止まって主体性に意識を向けてみると、そこに対応を選ぶ自由があることに気づくでしょう。
自分が何を感じているかを感じ、自分にとって何が大切なのかを知り、自らの判断で対応を選ぶ力です。さまざまな環境からの制約はありつつも、自分で選択するという責任を引き受けることで、人生の主導権を自分の手に取り戻すことができます。
・学び
自分の元気に自分で責任を持つとしたら、いま、自分にはなにが必要なのか、なにが合っているのか、どのような選択肢があるのかを学ぶ必要があります。自分自身についても、より学びを深めていくことが求められるでしょう。
さまざまな方法、いろいろな資源、幅広い選択があることを知らずにいるのかも知れません。だから、学ぶことが重要なのです。学び、自分で判断し、自分で選ぶことです。学ぶことで可能性が広がります。
また、これまで、どんなふうに学んできたのかを振り返ることが、学びの幅を広げてくれます。 もしかしたら、人からいわれたことを、それが唯一の正しい答えだと思っていたかも知れません。社会的に権威のある人の言葉を鵜呑みにしていたかも知れません。自分が主体となり、学んだことを試してみることで、自分にとってなにが大切で、なにが役に立つのか、そして、自分はなにを望んでいるのかがわかるでしょう。
・自分のために権利擁護をする
人生の主導権をもち、主体的に学ぶことで、自分に必要だけれど、すぐには得られないものが見えてくるかも知れません。そこで諦めるのではなく、勇気と力を結集して、自分に必要なことを手に入れようとすることこそが大切です。それには人との交渉を要する場合もあるでしょう。
権利という概念は日本では馴染みにくいものかもしれません。権利擁護を、自分にとって大切なことを大切にすること言い換えることができるでしょうか。私たちは誰もが、人として当然の、基本的人権を保障されるに値します。まず、それを信じること。そして、自分の内なる声に気づき、声を発する勇気を持つことが大切です。
自分にとって必要なことが、家族や周りの人の要望とぶつかるとき、相手の要望に従って、黙って自分を抑えることがあるかも知れません。ですが、自分の感じていること、必要としていること、望むことを伝え合うことでこそ、お互いが相手のためになにができるかがわかり、お互いを大切にする関係を作っていけるのではないでしょうか。権利擁護という言葉から、一方的な権利主張を思い浮かべるかも知れませんが、ここで意味していることは、私たちが必要としていること(ときに、とても当たり前のこと)を、勇気をもって、冷静に、声にして伝え、それを手に入れるために人々と対話をはじめようということです。
・サポート
サポートという言葉から、弱い人や弱い部分への助けを連想するかも知れません。ここでいうサポートは、そのような受身で受け取る支えではなく、お互いの力になることを意味しています。主体的に生きるとは、自分が必要とするサポートを、自ら手を伸ばして得ることでもあるでしょう。そして、片方がサポートを受けるばかりでなく、お互いがお互いの力になるような関係性を育むことが、元気であるために大切だと考えています。
それぞれの経験をあるがままに受け止め、批判や評価を下さずにお互いの主体性を尊重し合い、お互いになにが力になり、なにが力にならないのかを伝え合うことのできる関係性です。相互的なサポートのやりとりを意識することは、人とのつながり、関係性を豊かにすることなのかも知れません。