そのしこりを小さくするために私がやることのなかで、中心的なものになっている、とても大切な技法があります。それは“フォーカシング“と呼ばれるものです。私の一冊目の著書である『うつのためのワークブック』が出版されるまで、私はフォーカシングというものを知りませんでした。イギリスの友達から電話がかかってきて、「メアリー エレン、あなたの本をとても気に入ったよ。でも、フォーカシングについて触れていないね。イギリスでは、症状を弱めるために、それがよく使われているよ」といわれました。私はおずおずと、フォーカシングというものを聞いたことがなかったことを認めました。彼らから資料を教えてもらって、私はフォーカシングする人への道に乗り出しました。
この簡単な技法にはお金がかかりません。簡単に学べます。間違いようがありません。静かな場所でやるとよいですが、私は、飛行場でも混雑したオフィスでも、退屈な講義の最中にもしたことがあります。瞑想のようなものなのですが、自分を完全に静めるというのではありません。体の感じている気分が、私になにを言おうとしているのかを聴き取るようにします。私は普段、それを聴く時間を作ろうとしないのです。誰かにフォーカシングのガイドをしてもらうことも出来ますが、ひとりでも出来ます。フォーカシングをしようと思ったときに、まわりには誰もいないことが多いので、たいていひとりでやります。
それは、こういうものです。まず楽な姿勢にして、数回、深呼吸をします。そして自分の内側を見渡します。意識を向ける場所を移動させ、そこはどんな感じがするかを感じ取ります。ここは軽い。こっちは重い。ここでは、ちょっといらだつ。ここは落ち着いている。こっちは、うっとりとした感じ。フォーカシングをそれ以上、進めなくても、体が何を言おうとしているのかに耳を傾ける、この過程だけでも、示唆に富む、おもしろいものです。私はそこでやめて、次に進まないこともあります。
次に進むとしたら、こう自分に問いかけます。「いま私と、私が感じていることのあいだにあるものはなんだろう?」頭で答えないようにします。心、魂がそれに答えるようにします。答えが浮かんだら、そのことについて、それ以上考えません。浮かんできたものを、心のなかでメモしておくようにします。私の最近のリストにあがったものは、やることが多すぎてそれをやる時間がなく圧倒される気持ち、年老いて病気がちな親の心配、待って様子を見ることになっている胸の変な感じ、仲の良い友達から受けた心ないコメント、大人になった子どもとの微妙な関係、などです。
再び自分に問いかけます。「このリストにあがっていることのほかになにかあるだろうか?」もし心が声に出したものがあれば、それをリストに加えます。ああ、そうだ、テレビでやっていた、地球上の遠いところで起きている残虐行為についてのひどいニュース。
リストに載せるものが出揃ったところで、自分にこう問いかけます。「このなかで、際立っているものはなんだろう? もっとも重要なのはどれだろう?」頭で考えるのではなく、心で答えるようにします。たいてい、意外なものがあがってきます。これがいちばんだろうと思っていたものは、いちばんではないのです! 大人になった子どもとの関係が、実際に、浮かびあがっているものでした。そうだったんだ。私は学んでいます。
そして、こう問いかけます。「このことに、少し時間をかけてみても大丈夫だろうか?」もし心が大丈夫だと答えたら、次に進みます。大丈夫じゃないと答えたら、リストに戻って、注意を向ける必要がある、別の事柄を取り上げます。